寒川町歴史年表

西暦 和暦 寒川町内 町外
835 承和2年 鮎河(現相模川)に浮橋が架けられた。  
1181 治承5年 梶原景時、頼朝に家臣として認知され、寒川・一之宮の地を領した。  
1199 正治元年 梶原景時、結城朝光(ゆうきともみつ)謀反の疑いを将軍頼家に讒言(ざんげん)したとの理由で弾劾され、一之宮に下向。  
1200 正治2年   梶原景時、武田有義(ありよし)を将軍に擁立し、再起を図ろうと京都に向け出立。その途中、駿河国狐ヶ崎(清水市)で討たれ梶原山で最期を遂げた。
1494 明応3年   小田原城主大森氏頼没。藤頼小田原城を継ぐ。
1495 明応4年   北条早雲小田原城攻め。小田原城落城。大森藤頼真田城へ。(異説あり)
1498 明応7年  

北条早雲真田城攻め。真田城落城。大森泰頼甲斐国へ。(異説あり)

8月:東海大地震。鎌倉大仏、露座に。

1522 大永2年 北条氏綱、寒川神社社殿再興。  
1529 享禄2年   大森泰次、甲斐国で誕生。
1532 天文元年 一之宮・妙光寺開創。  
1537 天文6年   明珍房宗、小田原にて武田信玄の兜制作。
1541 天文10年   大森泰頼、甲斐国浅利村で没。(泰次12歳)
1541以降 天文10年以降 大森泰次、北条の家臣、山中、仙波両家に伴われ相模国へ。 泰次の弟親綱(ちかつな)浜松へ。
1546 天文15年 北条氏康、寒川神社修築。  
1560 永禄3年   今川義元、桶狭間の戦いで討ち死に。
1561 永禄4年 長尾景虎(上杉謙信)、関東進撃。寒川神社焼失か?  
1562 永禄5年   大森親綱、引間城主飯尾連龍(いのおつらたつ)に従い今川氏真(うじざね)と戦い戦死。
1565 永禄8年   飯尾連龍、駿府城内にて今川氏真に謀殺された。
1569 永禄12年 武田信玄、小田原攻め。帰路鎌倉八幡宮へ行くと見せかけて寒川神社へ参拝。兜奉納。信玄芝原で兵を休めた。 武田氏・北条氏、三増峠の戦い。
1570 元亀元年 一之宮へ宝篋印塔(本姓大森菊地下総守藤原泰定母)建立。 徳川家康引間城入城。浜松城と改称。(家康28歳)
1572 元亀3年   武田信玄遠江侵攻。井伊直虎、井伊谷城を逃れ、浜松城へ。
1573 天正元年  

・武田・徳川、三方原合戦。

・武田信玄病に倒れる。

・井伊直虎、井伊谷城を奪還。

1578 天正6年

・北条氏政、寒川神社修築。

・山角仙千代、寒川神社へ弓と太刀を奉納。

 
1581 天正9年 高木清方、倉見・行安寺開基。  
1582 天正10年   本能寺の変、織田信長没。井伊直虎没。
1590 天正18年

大森(菊地)泰次(61歳)、豊臣秀吉の小田原攻めの際危難にあった。生往寺(田端)境内の松の陰に潜み難を逃れた。

(天正年間、一之宮・南泉寺、宮山・興全寺創立。)

豊臣秀吉、小田原攻め。
1593 文禄2年 遠山安吉、田端、生往寺に葬る。  
1596 慶長元年 大森(菊地)泰次、生往寺開創。  
1597 慶長2年

・大森(菊地)泰次、一之宮、車地蔵建立(菊地下総守家分地につき証文)。

・小谷、福泉寺開山。

 
1598 慶長3年   豊臣秀吉没。
1600 慶長5年 遠山安政、田端、生往寺に葬る。 関ケ原の合戦。大森(佐久間)頼照、関ケ原の合戦へ参戦。
1609 慶長14年 小動、念宗寺創立。  
1610 慶長15年

5/24:円鏡院殿生誉妙西大姉(泰定継母)宝篋印塔建立。

11/7:大森(菊地)泰次没。82歳。東岳院殿往誉生西居士

 
1614 慶長19年   今川氏真(うじざね)、杉並区今川、観泉寺に葬る。
1617 元和3年 小谷地域集会所鰐口作。  
1638 寛永15年 大森(菊地)泰定没。82歳。  
1647 正保4年 遠山安重、田端、生往寺に葬る。  
1653 承応3年 下大曲神社庚申塔造立。  
1663 寛文3年 生往寺、頼照(77歳)の母の宝篋印塔(永宝院殿天誉妙照大姉、庄式部少輔資直の娘)建立  
1674 延宝2年   大森(佐久間)頼照没。88歳。墓は伊皿子の長応寺。

最終更新日:2017.10.3