辻堂茂兵衛資料館(2016.7.4現在)蔵の資料「高座郡三十三番観世音詠歌集」を基に作成しました。
高座郡三十三観音霊場のご詠歌が詠まれたのは、明治5年(1872)から明治37年(1904)の間と思われます(下記「参考」欄参照)。
藤沢市 | 8 |
茅ヶ崎市 | 6 |
寒川町 | 4 |
海老名市 | 4 |
相模原市 | 8 |
大和市 | 3 |
札所 | 場所 | 寺院・宗派 | 観音像 | 注釈 |
1 | 藤沢市藤沢 | 常光寺 浄土宗 | 正観音 | |
2 | 藤沢市鵠沼 | 法照寺 浄土宗 | 十一面観音 | |
3 | 藤沢市辻堂 | 宝泉寺 真言宗 | 十一面観音 | |
4 | 藤沢市稲荷 | 本願寺 浄土宗 |
楊柳観音 (ようりゅうかんのん) |
明暦2年起立。亡失。 仮の尊像あり。 「三十三番供養」の石碑あり |
5 | 藤沢市大庭 | 泉秋寺 曹洞宗 | 十一面観音 | |
6 | 茅ヶ崎市赤羽根3222 | 西光寺(観音堂) 浄土宗 | 十一面観音 | 天保四年(1833) 僧然誉造立 |
7 | 茅ヶ崎市 小和田(代官町1) | 千手院 真言宗 | 千手観音座像 | |
8 | 茅ヶ崎市茅ヶ崎1095 | 円蔵寺(観音堂) 真言宗 | 木造聖観音立像 | |
9 | 茅ヶ崎市南湖2-9-34 | 西運寺(観音堂) 浄土宗 | 正観音 | |
10 | 茅ヶ崎市萩園1632 | 満福寺 真言宗 | 観音菩薩立像 | 万治四年(1661) |
11 | 寒川町中瀬 | 景観寺 天台宗 | 木造十一面観音立像 | 寒川町指定重要文化財第1号 |
12 | 寒川町小谷 | 福泉寺 曹洞宗 | 十一面観音 | →小谷地域集会所(?) |
13 | 寒川町岡田 | 東(等)覚寺 | 如意輪観音 | →安楽寺(?) |
14 | 茅ヶ崎市芹沢3335 | 普門寺(観音堂) 浄土宗 | 下馬落観世音 | |
15 | 藤沢市遠藤 | 宝泉寺 曹洞宗 | 正観音 | |
16 | 寒川町倉見 | 観音寺 浄土宗 | 銅造千手観音立像 |
→観音堂 寒川町指定重要文化財第18号 |
17 | 海老名市門沢橋 | 正覚寺 真言宗 | 十一面観音 | |
18 | 海老名市大谷 | 清眼寺(観音堂) 真言宗 | 如意輪観音 | 現在は観音堂のみ残る |
19 | 海老名市河原口 | 総持院 真言宗 | 千手観音 | |
20 | 海老名市(国分寺) | 清水寺 臨済宗 | 清水式千手観音立像 |
湧河寺→清水寺→龍峰寺・観音堂 国重要文化財 |
21 | 相模原市新磯(新戸) | 浄福寺(常福寺) 臨済宗 | 正観音 | |
22 | 相模原市下溝 | 清水寺 曹洞宗 | 十一面観音 | 武相観音札所32番 |
23 | 相模原市当麻 | 無量光寺 時宗 | 正観音金像 | |
24 | 相模原市上溝 | 高岩寺(高巌寺) 本山修験 | 正観音 | 武相観音札所30番 |
25 | 相模原市田名 | 南光寺 臨済宗 | (不明) | 観音堂あり |
26 | 相模原市大島 | 長徳寺 曹洞宗 | 如意輪石像 | 観音堂は武相観音札所26番 |
27 | 相模原市橋本 | 瑞光寺 曹洞宗 | 百観音 | 和泉三郎建之 |
28 | 相模原市淵野辺 | 龍像寺 曹洞宗 | 正観音 | |
29 | 大和市鶴間(→下鶴間) | 観音寺 真言宗 | 十一面観音 | |
30 | 大和市深見 | 仏像寺 浄土宗 | 正観音 |
「仏像寺」とは仏導寺のことか? 新編相模国風土記稿によれば仏導寺に観音像なし。 |
31 | 大和市下和田 | 真福寺 真言宗 | 正観音黄金仏 | 現在は廃寺。観音像はどこへ? |
32 | 藤沢市下土棚 | 善然寺 浄土宗 | 正観音 | |
33 | 藤沢市亀井野 | 雲昌寺 曹洞宗 | 如意輪唐仏 |
景観寺 窪田山 天台宗
天平宝字元年(757)に創立されたと伝えられています。
新編相模国風土記稿によれば、天台宗大住郡一之沢浄発願寺末、となっています。
十一ばん 中瀬
景観寺 十一面 行基
なかせなる
のりのながれを
むすぶかな
ふだらくやまの
つきやどしつつ
小谷地域集会所
観音堂の別当吉祥院の址に建っています。
(吉祥院→小谷児童館{昭和47年(1972)}→小谷地域集会所)
「高座郡三十三番観世音詠歌集」によると、
十二ばん小谷戸
福泉寺 十一面 行基
かぎりなき よのちぎりぞと ふだらやま
こやとのいづみ むすびつる
となっていて、「こやとのいづみ」が福泉寺を指していると思われます。
一時期、福泉寺に十一面観音像が預けられていました。その時にこのご詠歌が読まれたのでしょうか?
木造十一面観音座像
像高32.5cm
左手に水瓶を持ち、右手を膝上で掌を上にして座す。
衣文表現などは浅目で形式化しており、実際の制作時期は桃山時代に入るものと推察される。
出典:寒川町史11別編美術工芸(平成4年11月1日)p155
安楽寺 大塚山 真言宗
高野山高室院末。
大塚山安楽寺は養老年間(717~723年)の建立と伝えられる町内最古の格式の高い寺院で、十数の末寺がありました。明治37年に末寺の等覚寺(本尊地蔵)、観護寺(本尊不動)、明治40年に宝塔院(本尊地蔵)を合併しました。
東(等)覚寺の如意輪観音の行方は不明です。
安楽寺には如意輪観音は見当たりません。
写真の木造勢至菩薩半跏像はあります。
出典:寒川町史11別編美術工芸(平成4年11月1日)p149
十三番 おかだ
東覚寺 如意輪
かしこしな
おかだにつくる
みのりとも
ほとけこそなれ
ようすくふため
倉見 観音堂
観音堂は、かつて観音寺と称し、八王子街道と永池川の間、現在の水神宮付近に建てられていました。
安政の頃、旅人の火の不始末から火事になり、ご本尊が焼けないよう永池川に投げ込んだと言われます。
その後、本尊は岩田伝兵衛の網に入り、長崎喜兵衛が土地を提供し、現在地に安置されました。
行安寺に碑のある長崎玉淵は阿波(徳島県)の武士でしたが、観音堂の住職となり、ここで寺子屋を開き、幕末から明治初年にかけて手習師匠をしました。
明治5年8月、学制が布かれると観音寺境内の畑を借り、公立学舎として特彊学舎を明治6年8月に設立、明治9年5月に倉見学校と改称されました。明治10年倉見学校と宮山学校が合併し旭学校(現在北部文化福祉会館の地)ができるまで、この地は教育の場として多くの子弟を育てるところとなりました。
(出典:「寒川の文化財」H14.3 寒川町教育委員会)
銅造千手観音菩薩立像
室町時代の作と考えられ、町内では他に例をみない九面二十四臂像です。
小像(像高 20.5cm)にもかかわらず、作風は丁寧で、腰から膝にかけて動きも感じられます。
十六ばん 蔵見
観音寺 倉見山 千手
やよろづの
たからおさめし
くらみでら
ほとけのめぐみ
ふかきをぞしる
参考
1.辻堂茂兵衛資料館→2019.1.19(土)11:00現在、辻堂茂兵衛資料館は閉館でした。(「藤沢市観光協会(藤沢市観光センター)TEL:0466-22-4141」へ確認)
2.高座郡三十三観音霊場ご詠歌が詠まれた時期
(1)「高座郡三十三番観世音詠歌集」によれば、12番札所は小谷・福泉寺、13番札所は岡田・東(等)覚寺となっています。
(2)吉祥院が廃寺になった時期は不明です。明治5年(1872)に修験道が廃止されているので、その頃廃寺になったと思われます。廃寺に伴い十一面観音は福泉寺へ預けられました。(*1)
(3)昭和11年(1936)、吉祥院の跡地に小谷集会所が建てられ、十一面観音は小谷集会所へ。(*1)
(4)従って、福泉寺が12番札所だったのは、明治5年(1872)から昭和11年(1936)までと推測されます。
(5)東(等)覚寺は明治37年(1904)に廃寺になり、安楽寺へ併合されました。如意輪観音像の行方は不明です。(*2)
(6)従って、東(等)覚寺が13番札所だったのは、明治37年(1904)までです。
(7)#4と#6から、「高座郡三十三番観世音詠歌集」が詠まれたのは、明治5年(1872)から明治37年(1904)までの間と思われます。
*1:寒川町史 10 別編 寺院 p140
*2:寒川町史 10 別編 寺院 p130
更新日:2024.9.13